狂言・演劇

歌舞伎座さよなら7月公演

歌舞伎座に行ってきた。

牡丹亭を見に行ったその日の夕刊に、

ちょうど広告が載っていた。

泉鏡花の戯曲を玉三郎が演じている。

東銀座の東劇から帰る途中見えた時代掛かった建物が、

やはり歌舞伎座であった。

みんな写メなど撮っている。

自分も撮りたかったが、やめた。

さてその舞台。

前半と後半の二部構成。

最初に歌舞伎、『夏祭浪花鑑』

海老蔵、獅童、勘太郎といった配役。

初めてといっていいほどの歌舞伎観劇。

なあるほど、こういうものね。

客席は暗くならない。

始終、ちゃんちきちゃんちきと、楽が鳴る。

裾でてけてけ拍木をならし、

そして、どこかゆっくりな台詞と間があって、

ちゃんばらがある。そして見栄をきって、花道を駆け抜けていく。

つまりこれは今にある日本のお芝居の、原型、おおもとなのだった。

こういうのは日本人として、やはり知っておくべきものであろう。

江戸期の大衆娯楽、義理と人情と粋があり、

押さえ切れぬ情念が事件を起こす。

思いの外生々しい。

これは義父殺しが主題。

う~む。

海老蔵も獅童もかっこよかった。

市川笑猿は綺麗だった。

これならもう一回(歌舞伎を)見てもいいと思った。

                       *

『天守物語』

歌舞伎役者によって演じられているが、もちろん歌舞伎ではない。

泉鏡花の原作による舞台である。

緞帳が上がって、突如異質な空気がそこにある。

鏡花をそれほど読みつくしたわけではないが、

彼の作品はプロットがあるというより、情景がある、と思う。

理屈でなく、印象である。

そしてそれは限りなく美しい。そして妖しい。

玉三郎はまさにその女主人であった。

これほど鏡花の世界に相応しい人がいるであろうか。

台詞も動きも、芝居すら必要ない。

ただそこに立っているだけ、それだけで、すでにある。

そういう境界を越えてしまっている。

正直言えば、歌舞伎座という舞台には合わない戯曲だと思う。

ことに歌舞伎の後では。

観客も、この舞台に応えるに相応しいものではなかった。

演者と共に、鏡花の世界を支えあうエネルギーに欠けていた。

世田谷のパブリックシアターのような空間だと

良かったかもしれない。

天守の女主、富姫は、犯さざる女性(にょしょう)の象徴である。

そこは触れてはならぬもの、聖域(異界)。

突如現れた図書之介が、その世界を、富姫の心を射止めることによって、

二人と世界は罰を受け、崩壊の危機を迎える。

そこへ神が姿をあらわし、二人を祝福、世界は再生される。

考えようによっては、図書之介がこの世の人ではなくなった、

と見る解釈も成り立つ。

この禁忌に満ちた、危うい、壮絶な美しさが、鏡花の世界なのだろう。

それを玉三郎は身の内に持っている。

素晴らしい。

獅童は好演だった。

図書之介役の海老蔵も悪いとは思わないけれど、

ちょっと平坦だったかなぁ、という気もする。

二枚目の海老蔵は面白くない。

大仰な立ち振る舞い、台詞なしで、雰囲気を伝えるというのは、

やはり高度なことなのであろう。

なにはともあれ、今なおちょっと夢心地である。

機会があれば、ふつうの舞台で見てみたい。

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SSDS とことん診察会 part2

さて、もうひとつ触れておかなければならない公演がある。

「S.S.D.S.第10回診察会 とことん診察会 パート2」 である。

先月27日(土)、梅雨時には稀な快晴の休日、

夜の部「ごはん時にあつかましい?」に参加した。

SSDSとは声優の速水奨さんが、09070222dsc00692

架空の病院のA.I.ドクターであるという設定の下に

主にWebラジヲで繰り広げている、

愛と癒しのパラレルワールドである。

なにかとストレスのかかる現代社会に日々暮らす人々に、

笑いと、慰めと、そして時にふか~い洞察をもたらす。

診察会では、患者(参加者)の問診表を元に、ドクター達が、

するどい突っ込みと、的確(?)なアドバイスを語り、

歌と踊りと、そしてラジヲ体操をみんなでしたり、

とにかく心身ともに健康を目指すひとときを過ごすという、

素晴らしい企画なのである。

唯一の問題(私にとっての)は、

参加者の9割9分が女性であること。

少数派であることにそれほど抵抗感はないけれど、

それにしてもちょっと敷居が高い、高すぎるのである。

連れの方とは、現地会場集合なので、

あの女性だらけの列の中に、ぽつんとひとり並ぶ心細さ。

たまりません。

せめてあれさえなければ、というわけで、

SSDS男子普及倶楽部なるものを、突如提唱したわけです。

そのメールが、ああ、何たることかWebで採用されてしまい、

しかも当事務局で、男女参加比均等化計画なるものが発令されてしまったので、

些か責任を感じているところであります。

計画案を立てろ、と言われても、ねぇ。。。

まあ、遠吠えしているところで、幸せなのかなぁと

うすうす結論を見通しているわけですが、、、

ちなみに次回第11回診察会は

10月10日(土)ということなので、

興味のある方は、是非是非、

まづはWebラジヲにアクセスを。

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Lady BAT(こうもり) 大路組公演

今月やっと終了したかと思った○○駅応援。

なんと! 来月もやることになった。

しかも今度はまる一日。

はぁ~sad

今月一杯でひとり辞めるということで、

誰か異動で持ってくると思いきや、

暫らく応援で乗り切るつもりらしい。

おそらく人がいないのだろう。

それにしてもな~。

             *

さて、先日、お芝居を見てきた。

大路組特別公演 「Lady BAT ~陰陽のエトランゼ~」

(後援 劇団RELAX)

最近なにかと話題の、川島芳子を取り上げたもの。

中国と日本

男と女

強気と弱気

そういう二面性、副題にある通り、陰と陽の相反する観点から、

彼女の印象を、表現する試みであったと思う。

実際には

川島芳子、という人の真実に切り込む、というより、

なにかあの時代背景下における、

切り裂かれ、翻弄された、

理想ですらなかった理想、というものを強く感じた。

芳子役のおおじのりこさんは熱演だった。09070121dsc00687

陸軍少佐役の戸部公爾さんも、

甘粕役の飛田展男さんも、

それぞれの持ち味を十分に発揮していたように思う。

個人的には、もう少し美学があってもいいのかと思うが、

これはこれで納得できる。

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劇団岸野組公演「万お仕事承ります 弐」

劇団岸野組の「万お仕事承ります 弐」を見てきた。

場所は池袋の東京劇場小ホール。

東京で丸の内線に乗り換えて、

思いのほか楽に行けることが判明。

さて今回は、

記憶をなくした男の足取りをたどる物語。

万屋の小平次(岸野幸正)と

血を見ると卒倒してしまう元正義の味方、十四郎(関俊彦)が、

記憶喪失の若衆(大倉正章)を連れて、品川へ記憶探しの探索に出る。

上手い具合に手掛かりはすぐ見つかって、

それがどうも、今は善良にしか見えないこの男(鶴次郎)が、

どうやら名うてのならず者だったようで、、、

過去の自分との対面は、まあ言ってみれば、

隠れた自身の内面を探ることに繋がるから、

ああいう設定にしたのも頷けるが、

落としどころを探して、ちょっと安易な結末に転んだかな、

という気のしないでもない。

あと今回は、役者というより、ストーリー重視の展開だった。

笑いどころも多々あった。

良く出来た舞台ではあったが、ちょっと地味な感じがした。

個人的にはもうちょっと関さんの活躍が見たかったなぁ。

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狂言劇場 その伍

ひさびさに萬斎さんを見に行った。08112813dsc00623

狂言劇場 その伍 「磁石」 「狂言による 彦市ばなし」

「磁石」は京にやってきたおのぼりさんを引っ掛けて

売りとばそうとした人売りが、逆にやっつけられてしまう話。

代金をかすめて逃げ出した被害者を追い詰めて

だんびらをかざした人売りに

自分は磁石の精ととっさにうそぶき、

まんまと刀を納めさせ、逆襲に出る。

御歳70幾つの万作さんが、刀を納められて死にまねをする男の上を

ぴょん、ぴょんと軽々飛び跳ねるのが、

どうやら最大の見所となったようだ。

      *

狂言による「彦市ばなし」

もとは木下順二の劇作。

うそつき名人彦市と天狗の子、ちょっとお間抜けな殿様が繰り広げる、

笑えるけれど、笑えない、人間風刺劇の狂言風。

なんどか狂言の形で演じられ、演出も変遷を経てきたそうだ。

彦市=萬斎、天狗の子=月崎晴夫 殿様=石田幸雄

釣竿を遠眼鏡とうそついて、天狗の子からまんまと隠れ蓑をせしめた彦市。

うそをうそで塗り増して、一挙両得を仕組むものの、

事態は予期せぬ方向に展開し、彦市のたくらみは破綻する。

川の中で天狗の子と格闘しているのを、彦市が吊り上げると騙した

河童を捕まえようとしていると勘違いした殿様までが助太刀に飛び込み、

三者がシンクロナイズドスイミングの手まねで袖に消えていく。

笑いの絶えない舞台であった。

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ブラックM

最近投稿の間隔が開いている?

もちろん、気のせいです。

さて、本日は劇団RELAXのお芝居を見てきました。

再演だそうですが、“ブラックM”という題名で、

舞台は現代アメリカ合衆国。

伝説の、幸運の星、ブラック・マリアを巡る、映画業界の物語。

ビルの屋上から飛び降りる寸前の売れないコメディアン。

金貸し。かつての名子役。三流プロデューサー。

隠れた名脚本家。。。

そして狂言回しに、映画の父、ご存知、トーマス・エジソン。

人生のどん底? いやいや、夢さえあれば、

まだまだ人生捨てたもんじゃない。

生命力溢れる、素晴らしい舞台でした。

殊に飛田展男さんの演技が光った。

そして、おぉじのりこさん。

いつも存在感たっぷりの戸部公爾さん。

名作です。

馬鹿いっちゃぁいけない。夢なんて何処にでもある。

それを追い求めない人生こそ虚しいんだ。

今ここに、満たされた感覚。この充足感。

これぞ演劇の原点。

人生の賛歌です。

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速水奨朗読会②

昨日、速水奨さんの朗読会 The Reading Show act-2 へ行ってきた。

今回はゲストなしで、速水さんとギターのウエキ弦太さん二人の主演。

最初は「ないた赤鬼」

人間と仲良くなりたいと思った赤鬼のために

敵役に扮した青鬼。

夢かなって後、尋ねていったところ、

青鬼は赤鬼のために姿を隠し、旅に出た、その置手紙を見て、

赤鬼はただただ涙を流す。

本当の友達は誰だったのか、

青鬼か、人間か。

なにかいろいろと考えさせられる作品。

さてこれはまあ、のどの調子を整えるための序曲。

本番は夢枕獏の陰陽師から「鬼小町」。

一時間を越える大楽曲だ。

永らく廃屋となっていたお寺に小さな庵を営む僧侶の元へ、

毎日花や小枝を供えに来る老婆の物語。

能の卒塔婆小町に材を得た、陰陽師シリーズの一品である。

まず、あえてこの作品を選んだ速水さんに唸る。

そして、たんたんと読み進み、ぐいぐいと引き込まれ、

と突如その低重音の、本職もかくやと思われる

朗々たる響きの謡が鳴り響き、

ああ、、、これは本当に、本当に、素晴らしかったsign03

繰り返すけれど、朗読とは単に本を読むことではない。

これは演奏であり、表現であり、そして観照である。

とてつもない、現在進行の得がたい瞬間が、今この時にある。

速水奨、う~ん、ただものじゃあない。

次回act-3は9月21日の予定。

君はこれを見逃していいのかsign02

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裏のうらはオモテ!!

Kさんには申し訳ないが、また芝居を見てきた。08052119dsc00111

「裏のうらはオモテ!!」

下北沢の本多劇場

主演は岸野幸正、関俊彦、飯塚雅弓

時は江戸、職業は必殺仕掛け人、の下働きのふたり。

いつも怠けてばかりのふたりが、

ひょんなことから“お仕置き”を引き受けることになり、、、

仕掛け人という裏家業がさらに裏を持ち、

はてさて何が表やら、裏やら。

純な男が惚れた女に報いたい一身で闇家業の裏を暴き出し、

その一身さが人を動かす。

芝居って何だ?

理屈じゃない。

小難しいことなんか放っといて、

笑って、楽しんで、そして時にほろりと涙して、、、

それでいいじゃないか。

そんな心意気を感じた。

とはいえ、凡ての悪人が時に善を持ち、

反対に善人といえども、時に悪を為す。

善悪の基準なんて、所詮狭量な我々人間が

仮に定めた決め事に過ぎないのではないか。

そんな深慮な提言をこの芝居は持っている。

やっぱり深いのだ。

座長の岸野さんはおちゃらけていて、でもドスが利いている。

関さんは、ああ、やっぱりこれほどヒューマニズムを感じる人はいない。

可憐な飯塚さんは声もかわいい。

それにしてもな~、今月見に行った芝居三作品とも、

最後みんな死んじゃう。(今日のは二人生き残ったけど)

幽霊の出てくるのも2作品。

太王四神記もそうだし、

もうこれはなんかの暗示か、天啓かと思いたくなるよ。

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莫大小猫奇譚(メリヤスネコキタン)

劇団RELAXの莫大小猫奇譚(メリヤスネコキタン)を見てきた。

場所は品川、六行会(りくこうかい)ホール。

出演は戸部公爾、飛田展男、清水スミカ、おおじのりこ、その他。

舞台は終戦直後の日本、昭和24年あたり。

有名な帝銀事件と東大生による闇金融、光クラブ事件を

架空のカストリ雑誌、猟奇倶楽部と昭和の歌姫、○○ひばりを組み合わせた、

光と闇の物語。08051719dsc00110

舞台は例によって人の死から、

死刑囚の告解師を務めた坊主(戸部公爾)が

その遣りきれなさに袈裟を脱ぎ捨てる場面から始まる。

敗戦という拭い去れぬ傷跡のまだ生々しい中に、

生もそして死も、自らの選択をすり抜けて抗いがたい宿命と化し、

欲望と虚無感の狭間を行き来する。

一見穏やかに見えるラストの場面、

おそらく両端の二人は息をしていない。

“ゆっくりお休み。必要なときは私が起こしてあげる。”

真ん中で編集長(清水スミカ)は語りかける。

それは二人の戦争がやっと終わりを遂げたから。

瞑目してやっと彼等は解放された。

そんな重い主題を、厚めのオブラートに包んで、

1時間40分の舞台に纏め上げた。

まずまずの作品と言えるだろう。

尚、“莫大小”とは大きくもなく小さくもない、ほどほどの謂々らしい。

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わが魂は輝く水なり

昨夜、渋谷のシアターコクーンで「わが魂は輝く水なり」を見てきた。

演出:蜷川幸雄

主演:野村萬斎(実盛) 尾上菊之介(五郎)

時は源平合戦の頃、命を救った木曽義仲に攻め込まれ

命を落とす斎藤実盛と、死して後、亡霊として父に纏う五郎の話。

さて、この舞台において、実は時代背景はあまり関係ない。

これは父と子の物語。08051000dsc00109

軋轢? いや違う。

貴族と武家の政権争い真っ只中のこの時代、

坂東武者として、名を貫いた剛の者、斎藤実盛。

父の元を離れ、森の民、木曽義仲の一族に加わり、

そして不慮の死を遂げた斎藤五郎。

若き日の想い、老いさらばえて去来する幻想。

その心意気。

舞台は激しく入れ替わるが、

印象に残るのは、父実盛と、純粋に行く末を案じて助けようとする子五郎の

二人の場面。

死を前にして、実盛は自らの内に水の流れを聞く。

清々しい水音。

なんと美しい光景だろう。

なんと見事な生だろう。

その一瞬が永遠の輝きを持つ。

禍々しい背景に包まれながら、

しかし人生を肯定したかにも思えるこの作品。

素晴らしい。

萬斎さんも見事だった。

狂言的な諧謔が、そのまま人生の鏡となり、

悲劇は喜劇と化し、それでいて哀しいほどに純粋な思いを語る。

初めてお目にかかる菊之介さんは、中性的な、

妖精のようなお方だった。

この二人の出会いは、観客にとっても、

また演者自身にとっても、

非常に幸福な出来事であったに違いない。

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狂言劇場その四 唐人相撲

世田谷パブリックシアターに08032121dsc00104

「狂言劇場その四」を見に行った。

パブリックシアター10周年公演のとりを飾る演目。

はじめに「子盗人」

屋敷へ盗みに入る博打打に野村万之介

離れに寝かせてあった赤子のあまりのかわいさに

あばあばとあやしているうちに

家のものに気づかれて、あわてて逃げ出す、

間抜けなどろぼうの話。

子をあやすシーンが見せ所か。

悪事を働こうという者が、無垢な赤子に悪事を忘れるという、

人間劇ともとれる。

続いて、笛と鼓による囃子。

そして、「唐人相撲」

相撲取り 野村萬斎  皇帝 野村万作  通辞 石田幸雄

そのほか30名以上参加する大作。

中国に相撲の修行に来ていた相撲取りが

故郷の日本が恋しくなり、帰郷を願い出る。

皇帝は二つ返事で許しを与えるが、

その前にもう一度相撲を所望する。

居並ぶ家来が束になっても敵わず、

あまりの不甲斐なさに自らかかっていこうとするが。。。

相撲勝負のドタバタが見せ場。

皇帝やその家来たちの台詞が、あやしい中国語もどきで笑いを誘う。

台詞が主体の狂言には珍しい、純粋に身体的な出し物。

肩のこらない楽しさはあるけれど、とりたてて深みもない。

そんななかで、万作氏はさすが。

家来が総崩れで、じゃあわしが、と服を脱いで準備をするところで

ひとさし舞を踊るのだが、これは見事だった。

あの狭い台の上で、あの足さばき。

すごい。

古典出身ながら、その枠を飛び越えて

まったく新たな世界を見出しつつある萬斎氏と、

いっぽう、たとえ古典の枠外にあろうとも、

古典としての芸道を貫こうとする万作氏。

奥行きのある舞台に、影絵の手法を用いた萬斎氏の演出は見事だった。

しかしいわゆる狂言のファンにとって、

やや物足りない演目であったことは否めない。

その舞台にいながら、じつにさりげなく、

しかし確固たる自身の世界を表出せしめた万作氏。

この父と子の「対話」という点に関しては、

なかなかに見応えがあったと思う。

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や、やられたっす

敬愛する、佐々木望さんの朗読会があると聞いた。20080315180916

券を取ってくれるというので、一も二もなくお願いした。

さて、当日間近になってwebで確認したところ、

なんと、祥慶祭のイベントと判明。

あああああぁぁぁぁ。。。coldsweats02

祥慶祭というのは、フルハウスキスというゲームから生まれたイベント。

複数のイケメンに言い寄られて、その中の一人と結ばれるというゲーム。

その声優さんを集めて、歌を歌ったり、一場面をアフレコしたりする。

今夜の朗読会は、その前夜祭。

何があああと言うかというと、観客の99.99%は女性。

祥慶祭だなんて一言も聞いてないぞ~。wobbly

で、遠路はるばる渋谷のC.C.Lemonホール。

これぞ腐女子の恐るべきエネルギー。

すっかり乗っ取られて、私も同じ状態になてしまったアル。

さて出演者。

櫻井孝宏 坪井智浩 荻原秀樹 鈴村健一 成瀬誠 そして佐々木望

主題はフルキスだけれど、

ほんとうにまじめな朗読会だった。

櫻井、荻原両氏はおのろけないちシーン。

鈴村さんは獄中からの回想。

成瀬さんはややせつない独白。

そして坪井さんと、佐々木さんはおも~い、トラウマ回想。

鈴村さんは十二国記で楽俊をやっている人。

役柄そのままにハートフルなお方。ソフトな語り口で好かった。

しみじみとしていて、でも辛気くさくなく、染み入ると言った感じ。

坪井さんは最近見た顔。なかなか上手い。

おも~い一シーンを見事に演じきった。

そして佐々木望さん。

さすがだ。ひとりだけ次元が違っていた。

声優としての場面以外に、いろいろと取り入れて、

妥協を許さない土壌の中からはぐくまれた、

ある種の凄みというものを感じた。

声優としての技量というより、人としての厚味の違いと言うのだろうか。

どんな機会であれ、逃さず、メッセージを発することが出来る。

やぁ、一本取られたなぁ。

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居残り左平次

昨日吉祥寺の前進座という所へ、お芝居を見に行った。07111623dsc00658

落語の「居残り左平次」を題材にした物語。

主演は中尾隆聖さんと関俊彦さん。

中尾さんはバイキンマンの声をやっている人。

関さんもまた著名な声優さん。

アンジェリークのルヴァ、炎の蜃気楼の仰木高耶、

SSDSではバームクーテヘン教授等々尖った役から、癒し系まで

幅広く演じていらっしゃるお方。

この関俊彦さんが見たくてはるばる吉祥寺まで行ってきた。

物語は幕末、品川のさる女郎屋で、

金がないのに芸者遊びをして「居残り」(今で言う皿洗い)になった左平次が、

久々に江戸に遊びに来た清水の次郎長と、4人の薩摩藩士、

そして女郎たちの間をすり抜けながら、居残り家業を成し遂げて、

まんまととんずらするのだけれど、お店の危機一髪に立ち帰り、

見事に丸く収めてしまうという人情喜劇。

いや~、面白かった。笑わせてもらいました。

なんと言っても、やっぱり関さん。

ものすごくエネルギッシュ。そしてハートフル。

すっかり持っていかれてしまいました。

今ちょっと、しんどい本を読んでいるので、いい気分転換というか、

たっぷり栄養を貰った感じです。

また是非見に行きたいなぁ。

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生がお好き

昨日、テレビをつけたら、「国盗人」をやっていた。

このあいだ見に行った、萬斎さんと妖怪白石加代子共演による、

リチャード三世の翻訳劇だ。

舞台は既に後半に入っていた。

アップで見ると、連日の公演のせいか、萬斎さんはだいぶお疲れのご様子。

正直、あれぇ、こんなもんだったっけ、という印象は、

やはり生の舞台と、ブラウン管の違いだろう。

数メートルと離れていないところで演じているの役者から放たれるエネルギーは、

残念ながらテレビでは伝わりにくい。

これが舞台ではなく、映像として作られたものならば違うのだろうが、

やはり演劇は劇場で見るに限る。

9月にS.S.D.S.の大診察会が中野で開催される。

行こうか行くまいか、半々で悩んでいる。

ああ、女性であれば、ちょっとおばさんでも、堂々と行けるものを!

おじさんじゃねぇ。

ぱっと見、そうは見えない?

のほほほ、うまいことゆうて、小遣いかすめようと思うてからに。。。

あ・げ・ま・せ・ん

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「国盗人」観劇記

なはは、2日空いてしまった。

パソコン前の椅子に猫が寝ていたので、更新できなかったのです。

(半分ホント)

さて昨日、「国盗人」を見て参りました。

まず舞台の世田谷パブリックシアターですが、

思いのほかこじんまりとしております。そしていい空間です。

中に入りましたら、蝉が鳴いてました。

ミンミンゼミとツクツクホウシの合唱です。むろん録音です。

舞台中央になにやら置いてあって、後で判明したのですが、

それは狂言で使う面でした。

客席の半分が暗くなって、中途半端だなと思ったら、

その明るい方の通路に白い傘を差し、

白い衣装を身に纏ったおばさんが立っていて、、、

それが白石加代子さんでした。

ついついつい、と降りてきて、舞台を上がり、

面を手にして一言、「つわもの共が夢の跡」

そして芝居が始まりました。

   ***

リチャード三世はお読みになったことがおありでしょうか。

結論から言って、様々なアレンジが試みられているものの、

印象的には非常に原作に忠実な、翻訳劇であったと思います。

狂言的な言い回しや作法、そしてギリシャ悲劇を思わせるような

抽象的な場面もありましたが、かなり練り込んで作ったのでしょう、

なんら違和感なく溶け込んでいて、

あたかもシェークスピア自身が、このように書いたと勘違いしそうなほど、

見事な出来映えでした。

共に16世紀の後半、東西の島国に完成した舞台演劇が、

こうして完全なる融合を遂げた現場を、私は目撃したわけです。

少し欲を言えば、後半、悪三郎(リチャード三世)が孤立していくさまを、

もうひと場面手間掛けて表現して欲しかったなと思いました。

今回は白石さんの1人4役というのがひとつの売りで、

その表現のために萬斎さんがちょっと譲った、というところがあって、

バランス的にそういうコマ組みになってしまったのかもしれません。

  ***

ハムレットの時から見て、萬斎さんは演劇の幅がすごく広がったと感じました。

演じる方が余裕があるので、見るほうも安心して、

彼の「逸脱ぶり」を眺めることが出来ます。

白石さんは、さすがの演技力です。

下手をすれば彼女の独演会となるところでしたが、

萬斎さんの悪党ながら妙に人好きのする、

あくの強い演技とちょうどバランスがつり合って、

調和の取れた舞台に仕上がりました。

  ***

7月14日まで上演されます。

場所を選ばなければまだ席も残っているようですから、

興味のある方は是非おみ足をお運びくださいな。

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わくわくですね

明日は萬斎さんの「国盗人」を見に行く。

シェークスピアのリチャード三世の翻訳劇・狂言風

リチャード三世は悲劇。

狂言にもまれに悲劇的な曲目もあるようだから、

それほどおかしなことはないだろう。

場所は三軒茶屋の世田谷パブリックシアター。

ちと遠いが、昔通学に通った路線の途中にあるのだから、

まあ範囲内とは言える。

今年に入って月いちくらいで、狂言の舞台を見に行ったが、

この公演でとりあえず区切りをつけようかと思う。

などと言いながら、チケットを検索したりしているかもしれないが。

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母と狂言を観る

昨日は母を連れて、狂言観劇。

馬鹿の一つ覚えで、萬斎一座。

演目は「舟渡聟」と「千鳥」

「舟渡聟」(ふなわたしむこ)は結婚の挨拶に舅の家に向かった婿さんのお話。

琵琶湖を渡ろうとして雇った船頭が大の酒好きで、

舅への手土産のお酒に目をつけられ、

舟を大きく揺すられたり、流されたりした挙句、大半を飲まれてしまう。

ほうほうの体で舟を降り、舅の家にたどり着いたところ、

なんとその舅が実は、、、という展開。

舟を揺すられる場面(演者が大きく左右にばたばたする)と、

舅の正体が露見する場面が見所。

「千鳥」はつけのたまった酒屋に、祭り用の酒を(またつけで)取りに行くよう

言いつけられた太郎冠者の、涙ぐましい努力のお話し。

あの手この手で言いくるめて、なんとかお酒を持ち出そうと奮闘する。

「浜千鳥の友呼ぶ声は」「ちりち~りやちぃり~りちり」のちりちりが聞き所。

一度聞いたら、耳に着いて離れない。

最後は馬の掛け声と共に、酒をかっさらって逃げていく。

あっぱれ。

太郎冠者はむろん萬斎氏。

地方興行で狂言観劇が始めてという人が多いと、

サービス精神の旺盛な萬斎さんは、いつもにもましてはしゃぎまくる。

舞台中を駆け巡る。さすがだ。

やっぱりこの人には華がある。

仮に彼が能を演じたとしたら、どんな感じだろうか。

他流派に客演したことはあると思うが、シテなんぞで舞ってもらったら、

さぞかしにぎやかな舞台になるやもしれぬ。

なんといっても声が好い。

母も千鳥はたいそう楽しんで見ていたようだった。

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国盗人

昨年終わりに3chで「能狂言入門」をたまたま見て以来、

今年に入って憑かれたように狂言観劇に出ているが、

6月から7月にかけて、シェークスピアの狂言翻訳劇、「国盗人」が

世田谷のパブリックシアターで上演されることになった。

原作はリチャード三世。

20年前の卒論で「シェークスピアと世阿弥」を提出しようとして

担当教授に拒絶をくらった身としては、なんともいえぬ感慨である。

演出・出演、野村萬斎。才人である。

シェークスピアの翻訳劇は、法螺侍、ややこしやのまちがいの狂言に続いて三作目。

今日からチケットぴあでプレリザーブでござる。

興味のある方は覗くべし。

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狂言ござる乃座 観劇

さて、31日の国立能楽堂。

万作一門、狂言ござる乃座による公演。

演目は「横座」 「重喜」 「寝音曲」

「横座」は行方不明の牛を見つけた元の飼い主が、その牛を取り戻す顛末。

横座とは牛の名前。

拾い主と交渉の末、3回まで名を呼んで牛が鳴いたら返してもらえる、ということになる。

2度まではだめで、三度目に牛にちなんだ故事を語り聞かせ、「のう、横座」と呼ぶと、

やっと、「もおうぅぅぅ」

牛を連れて立ち去る本来の持ち主に、拾い主が、そのくつわはわしのだ、返せと言うが、

持ち主は、じょう、じょうじょう(牛を追い立てる掛け声)とさっさと行ってしまう。

飼い主に萬斎。拾い主が万之介。

馬の耳に念仏、というが、牛の耳に語り、わしを忘れたか、忘れはすまい、のう、

と大事にしてた牛を想う気持ちが伝わった、ちょっと微笑ましい話し。

「重喜」

寺の住職が、若干うつけもの、今で言うなら天然ボケの弟子(小僧)に、

翌日法要に出掛けるのに、代わりがいないのでやむなく剃髪してもらおうとして、

あわや鼻を落とされそうになる。

というのも、重喜がカミソリの刃を研ぐのに夢中になるあまり師匠にぶつかって、

弟子たるもの、7尺下がって、師の影を踏まぬよう気をつけるものだと諭したところ、

言葉通りに受け取った小僧が、カミソリをなが~い竹の先に結んで、

住職の頭を剃ろうとして、手元が狂い、顔の前をすぱっとやってしまう。

驚いて腰を抜かし慌てているうちに、小僧は逃げ出す。

弟子の小僧(重喜)に、萬斎さんの長男、裕基くん。住職(住持)におじいちゃんの万作さん。

最初裕基くんがせりふにつまって、ふたり顔を見合わせて間が開いてしまったところ、

万作さんが、「ともの、、、」とさわりを言って、そしたら思い出して、後はすらすら行った。

後で怒られたに違いないが、見てる者としてはなんとも微笑ましい一場面だった。

最後は「寝音曲」

配下のものが謡いの名手であることを知った主人が、呼び出して謡わせようとするが、

くわせもののこの男(太郎冠者)は、酒を飲まぬと謡えぬと言い、

たらふく飲ましてもらった挙句に、今度は妻の膝枕でなくては声が出ない、

というので、主人が自分の膝を貸す羽目に。

主人が試しに普通の姿勢や、立たせた状態で謡わせると、

まるでかすれて声が出ない。

膝枕させながら謡わせて、太郎冠者の上体をおこすとかすれ、戻すと声が出て、

というのを何度か繰り返すうちに、フリをしていた太郎冠者がタイミングを間違えて、

寝てかすれ、起きて声が出て、そのうち調子が出てきて、

立ち上がって舞いはじめるに到って、ありゃしまった、と逃げ出す。

隙あらば仕事に手を抜き、主をからかってやろうとうそぶく太郎冠者の

ある意味庶民的な、人間くささが面白い。

冠者に萬斎さん。主に石田幸雄さん。

萬斎さんの謡いは見事だった。

以前「文蔵」の記事で、語りと謡いの違いが判らなかったが、

今回横座では語りが、寝音曲では謡が見所となり、

なるほどと納得した。

語りは文字通り、物語を語る。

謡いはそれが音曲に乗る。つまり旋律がある。

狂言観劇もこれで三度目。

今月終わりに一座が地元に来るので、母を連れて行く予定。

たまには孝行しないとね。

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