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2009年3月

キャシャーン再び

「キャシャーンsins」のDVDを購入した。

BOXの1と2。

“キャシャーンがやらずて誰がやる”の第1作とは趣きがだいぶ違う。

機械対人間ではなく、機械が世界征服を為し得た後に、

永遠であるはずのその寿命が、一転滅びに向かうという終末の物語。

鍵を握るのは、機械文明の母とも言えるルナと、

彼女を殺し、滅びのきっかけを招いたキャシャーン。

彼は凡ての記憶を失っている。

キャシャーンを喰らえば滅びを免れる、というデマのため、

行く先々で機械達に襲われ、世界を彷徨っている。

そしてキャシャーン自身は、何故か傷を負っても再生する。

それはルナを殺し、その体液を浴びたことと関係があるようなのだが、

そんな折、その殺したはずのルナが、生きているという噂が流れ、、、

先日完結した、おそらくアニメ史に名を残すだろうこの作品。

3度ほどしか巡りあえず、結末も知らない。

この後立て続けにBOXの3と4が発売されるそうなので、

ああ、お金がないというのに、買ってしまうのだろうな。

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或る朝の始まり

5時半に目が覚めた。

いつも朝風呂に入って、髪を洗う。

意外と健康法になっているかもしれない。

ここで二度寝しない方が、目覚めが良い。

時間にもゆとりができる。

大抵はめざましTVをかけて、朝のお出掛けのための儀式を、

のろのろとやる。

髭剃りとか、その他もろもろ。

このところ家からおにぎりを持っていっている。

いいよ、と言うのに、母が作ってくれる。

形が悪いので、本当は自分でにぎりたい。

きっちり三角なのがいい。

家を出るのは7時半ちょっと前。

今は自転車で駅へ行く。

お弁当と、お茶を入れた水筒が重いのだ。

車中は逆方向なので空いている。

本を読むか、寝てる。

40分たっぷり。

。。。なんだかんだと、平和な一日の始まりなのである。

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陰摩羅鬼の瑕

京極堂シリーズ第八弾「陰摩羅鬼の瑕」(おんもらきのきず)を読了した。

再読である。

前回読んだときは、あまりすっきりと納得できなかった。

今回は、よく判った。

シリーズ中、最も地味な事件かもしれない。

が、面白かった。

例の京極堂で繰り広げられる、お化け談義は最高だった。

関口先生の活躍(?)も嬉しい。

佳境の展開を読みつつ、イチローの決勝打を見ていた。

憑き物落としかぁ。。。

解体と再構築。

といいながら、レギュラー陣はほぼ皆崩壊している。

一見ばらばらなこの連中が、必殺仕事人宜しく、

見事な連携をなしている。

そろそろ新作を読みたいなぁ。

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これもひとつの執着か

昨日、職場で来月のお休みの希望届けを見たら、

日曜ばかり全部○を入れている社員がいて、愕然、憤慨した。

6月まで、ある理由から我々一般社員は、祝祭日のお休みは原則×なのに、

一体何を考えているのか。やりすぎである。

おそらく今月私が後半立て続けに日曜がお休みになって、

この人はずるいと感じたのだろう。

ちなみに私は今月は一日も休みの希望を出していない。

ただ社員が年に一度取得することになっている連休を、

お店の運営がきつくなるから、分割して、

5連休の所を、3連休で下さいとお願いした。

それが、たまたまの日曜のお休みにならざるを得なかったらしい。

日曜は稽古があるので、できれば私も欲しい。喉から手が出るほど。

それをぐっと堪えて、休みを出さずにいる状況なので、

よくもまあ、このように自分の都合ばかり考えてやれるものだと、

余計に腹が立ったのである。

流石に収まらず、抗議のメモを残しておいたが、

おそらくこの人は、私の気持ちなんてまるきり感じていない。

自身の思いだけしか見えていない。

そういう人に、気配りの要を説いても意味がないので、

余計なことだったかという気もする。

思えば日曜の稽古へ通うようになって

この十数年あまり、如何に日曜に無理なく休みを取るかで、

随分とエネルギーを費やしてきた。

毎月毎月、粉骨砕身して、捻出してきたような感もある。

その分の思いが、あの四つの○を見て、

おそらく爆発したのであろう。

その思いの量を改めて知る上で、きっかけを作ってくれたことには

感謝せねばなるまい、と思う。

この血の滲むような努力に、果たして意味があったのか?

もちろんあっただろう。少なくとも、これまでは。

しかし今後も変わらず意味があるかどうかは分からない。

稽古へ行く、行かないは置いといて、

同じだけの気持ちを費やし続けることに、

ある種の変化を求められているのかもしれない。

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おくられびと

近頃映画を見ていない。

TVの9時台のは面白くないし、

深夜枠は、ここ10年ほぼ壊滅状態。

映画館で見るのは好きでない。

お尻の痛みを我慢して、2時間あまり、じっとしているのはつらい。

となると唯一はDVDだが、いまひとつ食指が動かない。

近場に大きな売り場のないせいもある。

私が見たくなるのは、どういうわけか、マイナーレーベルなのだ。

多くの場合、既に廃盤になっていたりする。

ならばレンタルで借りればいいのだろうが、

昔からどうも、レンタルは利用したことがない。

あまり好きでない。

光を導入して、ネット環境でを整備して見るといいかもしれない。

ところがこの1年、NTT関連会社から

入れろ入れろという催促の電話がストーカー並みにあって、

すっかり嫌になってしまった。

で、当分光にはしない。

ADSLでも十分いけるが、画質は悪い。

光でも恐らく、たいして改善されないだろう。

というわけで、もう暫らく、映画日照りな日々を送ることと思う。

まあ、どうでもいい様な話であるのだが。

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まったりと

終わってしまった三連休。

ものの見事に本ばかり読んでいた。

ああ、活字が怖い。

というぐらいに読んだ。

辞書より分厚い京極堂ものを、2冊完読。

頭の中を、わけのわからない理屈が氾濫している。

一度墓参りに行ったほかは、外出もあまりしなかった。

明日からまた仕事だが、それほどイヤという感じはしない。

なんでかなぁ。

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ぶるぅれい

昨日のこと、

連休中の時間つぶしに

Kさんに頂いた“てくてく四国総集編”を通しで見ようと

DVDレコーダーに入れてみて、

“このディスクは再生できません”のメッセージが。

は? と取り出だして、よくよく見ると、

なんか表面が微妙に青い光沢を放っている。

も、もしや、これが音に聞く、

ぶるぅれい とか申すものでござるか?

そういえばKさんは、ぶるーれいレコーダーを

持っているとかいう話だった。

や、やられた。

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平凡であること

さて明日から三連休。

旅行は止めてしまったので、とりあえずすることはない。

さりとて稽古に通うのも、どうかなと思うので、

本でも読んで、のんびり過ごそうかと考えている。

時々不安になるのは、

こんなに何にもしないで、日々を送って良いのだろうかと、

自身の人生を振り返るときである。

何かを為すかでなく、どうあるかが重要だと思いつつも、

各方面で活躍されている人たちを見るにつけて、

自分も何か、努力をしなければならないのではないかと

迷うことがないと言ったら、うそになる。

その一方で、何も特別なことは為さずに、

日々平凡な決め事を、当たり前に送ることこそ、

今生の為すべき課題なのだと考えている。

抗わず受け入れ、流され、

そして行き着くところに行き着く。

自分以外の何者かになろうと、努力を重ねることこそ

様々な問題の発生源と見定め、

一見自堕落な、実際自堕落な日常を謳歌したいと思う。

ああ、これだ! という瞬間もないではない。

しかしそれは、長続きしない。

“日々迷えるもの、そは汝なり”

毎日が綱渡りだなあ、と最近は諦観している。

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ああ、ナルホド!

新しいバイトの子が入った。

通信教育で高校過程を学んでいる女の子。

どちらかと言うと内向的で、

すぐに周囲と打ち解けるというわけにはいかないようだ。

実はそういう人を見ると、私は落ち着かなくなる。

なにかこう話しかけたり、冗談を言ったり、

いらぬ(かもしれない)世話を焼きたくなる。

これまで私はそういう自分の行動を、

立場上果たせねばならぬ責任と思っていた。

今回、ふと感じた。

そういう状況を見たくないから、私はそうするのではないか、と。

実際私は外交的というには程遠いし、

知らぬ所へ行くと、借りてきた猫のようにおとなしいし、

そのくせ人の助けを是としない性格なのだ。

かまって欲しいくせに、ほおっておいて欲しいという厄介な人である。

自分のこうした性格がどこから来たかというと、

もちろん両親から、ことに母親から来ていることを、

最近は富に判りつつある。

そこまで判っていて、尚、ある状況下において、

無意識な強制的反射反応を起こしていたわけである。

迂闊、と思うより先に、ああ、なるほど! と感嘆した。

判りきった理論が、まさに自身の目の前で、

日常的に繰り広げられていたのだ。

そう、こういうのを目からウロコ、というのだった。

いったい幾つ、自分はこういう現象を抱えているのだろう。

なかなか気づきにくいものであろう。

いつでも心を平明に、謙虚に、生きていきたいものだと思う。

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Oさんに

先月他界されたOさんのご自宅へ、

稽古仲間一同でお邪魔した。

奥方のお誘いを頂いたからである。

私は今年に入って一度も稽古へ行く機会がなかったが、

今月は上手い具合に後半の日曜に休みが取れて、

久々の稽古日に、ちょうど予定がかち合った。

これもOさんのお導きかもしれない。

話によると、既にあちこちに出没しているらしい。

九州に出張している元部下のHさんの所へは、

お亡くなりになって2日後に、今日はここに泊まる、

と夢に出てきたと言う。

今後ともますます出没しそうだから、

迂闊に稽古をさぼることもできない。

辞めてしまおうかと思ったブログも、

どうやら続けていくことになりそうだ。

きっちり更新するから、ちゃんと読んでよね、

と、ご霊前に言うのを忘れてた。

今度伺ったときに、取っておこう。

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気高くあるというふこと

いろいろと意見はあるだろうが、

私はあの韓国での面会のシーンに大きく心を揺さぶられた。

100人を超える人がなくなったテロ事件。

その実行犯である。

言葉に尽くせぬ20数年の葛藤の後に、

何ゆえかくも高貴に、逞しくあれるのか。

受け入れた、ということのなせる業なのか。

あの無力で、やるせない犯行直後の映像からは

ちょっと予想できなかった姿に、まったく驚いた。

過ぎ去った行為は消すことができない。

呵責のあまりに、自らの存在を滅することはたやすい。

彼女にとってのこの月日は、ひとつの遍路道だったか。

そう想像する。

人の価値とは、その行為によるものではないのだと、

改めて感じた。

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ギターがきたー

ギターリストの村治佳織さんが

バッハを弾いたアルバムを聴いた。

チェンバロ協奏曲やヴァイオリンのパルティータを

ギターに編曲したもの。

チェンバロ協奏曲は確かもともとヴァイオリン用のものを

編曲したのではなかったかと思う。

(ムターが弾いているヴァイオリン版を最近買った)

ヴァイオリン版からの編曲の方がやさしいと思うが、

どうやらチェンバロ版から移したようだ。

さて演奏はというと、さすがにギターは上手い。

上手さを押し出さず、曲作りに行っているところが好い。

ただし華やかさはに欠けている。

演者の外装に比して、なにかこう、地道に突き詰めていくような、

学究的なタイプの人なのかもしれない。

本来ヴィルトオーソな披露をするところを

すぅっと弾きこなして、まるで行き過ぎる風のような雰囲気。

デヴュー間もない頃の、英国民謡を演奏したCDを一枚持っているが、

やはりこういう感じだった。

理知的というか、内向的というか、

侘び寂びな感性の持ち主かもしれない。

他の演目では違った雰囲気があるかもしれないが。

結論として、割と面白い出来に仕上がった一枚。

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ごろごろしているのが、いちばん楽だが。。。

明日、明後日と連休。

来週は三連休がある。

今年は恒例の旅行は止めようと思っていたが、

う~ん、どうしよう。何処かへ行きたい気もする。

奈良のまだ周っていない所にするか、

或いは手近なところを探すか。

諏訪とか行きたいけど、季節的にどんなものだろう。

四国はちょっと遠いし、東北は遭難しそうだし。

明日、決めよう。

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遅延三重奏曲

なんと、また電車が遅れた。

朝、地元駅で路線凍結とかで、20分遅れ、

次の駅で快速が人身で遅れ、

仕方なく別経路で行った先の駅から乗った特急が、

今度は線路内に人が立ち入ったとかで、15分遅れた。

どないなっとんじゃぁ!

とどめは帰り。

快速がまたまた点検とかで10分遅れ。

ひょっとして、私が疫病神? 

と思いたくもなるような、この顛末。

お払いにでも行ってこようか。。。

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駅のベンチで寒さに震える

今日も帰りの電車のダイヤが乱れた。

パンタグラフの点検とかもあったし。

不思議とこういうのは連鎖する。

待つのは構わない。

分厚い京極堂シリーズを抱えているので。

今読んでいるのはシリーズ第四弾の「狂骨の夢」

最初読んだとき、結構端折っているようで、

さほど新鮮さを失っていない。

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子を持つといふこと

チェン・ミンさんに娘さんが生まれたそうだ。

子を持つということは、タイヘンだろう。

まあ、産んでしまった以上、なるようにするしかない

わけで、状況に応じて、あたふたする羽目になる。

私は思う。

親の責任とは、子を手放すことだと。

一刻も早く、自分の庇護下から追い出し、

子ども自身の歩みを始めさせることが、

親にできる最大の、そして唯一の子育てなのだと。

この世に生を受けるということは、瑕を負うことである。

その瑕を癒しながら、そしてめげることなく歩み続けるのが、人生だろう。

理想の親になろうと努力するより、

自身の瑕に自覚を持ち、

そしてありのままの姿を子どもに見せるといい。

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たかが信号機

“○○駅構内の信号機故障により、只今運転を見合わせております。”

は???

そして1時間半、電車が止まった。

テナント店では、時間通りに開店できないと、大変なことになる。

始末書だけでは済まない場合もある。

ひさびさに慌てた。

遅番の社員Yへ、何度電話をかけても、一向につながらない。

苦肉の策で、104でテナントの事務所の電話を聞いて、

事務員の人に説明しながら、なんとかレジの立ち上げをやってもらった。

その後念のため、Aへ電話したら、奇跡的に繋がった。

開店一時間前。

十分間合うだろうと思ってお願いして、

で、私は開店時間に25分遅れでmやっと到着してみたら、

なんとAもほぼ同じ時間の入店。

ええ? 地元に住んでいるのに、Why?

まあ、お店は、バイトの子に開店前に確認を取って

営業に差し支えないことが判っていたものの、

いくら寝起きとはいえ、一時間もあって間に合わないとは。。。

Oh My God!

大事に至らないくてほんとうに好かったが、

再度の時のために、対策を考えておかなくてはいけない。

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